落語界の瀧川鯉斗(たきがわ・こいと)さんの総長時代についてです。
モデルのようなルックスで注目を集めていますが、地元名古屋では暴走族でした。
毎晩のように市内で暴走を続けて、天伯スペクターの12代目総長にまで上り詰めていました。
しかし、上京をきっかけに落語に出会います。今回は、暴走族から落語界にどのように進んでいったのかを書いていきます。
瀧川鯉斗(こいと) 総長時代の画像|中学と高校はどこ?
プロフィール
- 芸名:瀧川鯉斗(たきがわ こいと)
- 本名:小口 直也
- 年齢:35歳(2019年時点)
- 生年月日:1984年1月25日
- 身長:182cm
- 出身地:愛知県名古屋市
- 活動開始時期:2005年〜
- 中学:不明
- 高校:地元の高校(1日で退学)
瀧川鯉斗こと、小口 直也(本名)さんは愛知県名古屋市の出身です。ルックスだけでなく、身長182cmというモデル顔負けの体格をしています。
落語会に入る以前は、13歳から暴走族で活動をしていました。
中学と高校は不明となっていますが、地元のヤンキー高校に進学したそうです。
愛知でヤンキーがいると噂の高校は以下のようです。
ヤンキーがいると噂の愛知県名古屋市の高校
- 享栄高校(愛知県名古屋市):偏差値:39〜48
- 守山高校(愛知県名古屋市):偏差値40
….といっても、瀧川さんは高校生活1日目で退学となります。
高校時代(天白スペクター)の逸話がやばい!50人とケンカをして1日で高校退学
入学当日、先輩から生意気だと目をつけられて50人相手のケンカをします。
さすがにボコボコにされてしまったようですが、ケンカ終了後にタバコをしてしまい、1日で高校を退学させられます。
瀧川鯉斗は暴走族チーム”天白スペクター”の12代目総長に上りつめる
13歳から暴走族で活動していた瀧川鯉斗さん。
所属していたのは名古屋の暴走族”天白スペクター”でした。スペクターは東京にもありますが、瀧川さんが入っていたのは名古屋市支部。
高校を1日で退学したあとは工場と建設現場、サーフボードの修理で日銭を稼ぎつつ、暴走に明け暮れる日々。
好きだったバイクは、ヤマハのXJR、ホンダのCBスーパーフォア、カワサキのゼファー。愛車にはチューニングをほどこし、名古屋の尾頭橋(おとうばし)で集会をしていました。
尾頭橋周辺をグルグル周回していると、次第に台数が増えてくるんだそうです。
ケンカを先に仕掛けるタイプではなかったそうですが、運転テクニックや参加度を認められて12代目総長になります。
総長として対立チームとの抗争にも勝利する
天白スペクターは、名古屋から反対側の暴走族(三河)と対立していました。
そこで、平和公園に総勢200人が集まり決着をつけることに。にらみ合いが続く中、暴走族のOBからタイマンを命じられて見事勝利。
12代目総長として、確固たる地位を築きます。
暴走族のままではヤバイと思い上京を決意!バイト先で落語と出会う
12代目総長に上り詰め、夜な夜な暴走を繰り返し、仲間とバカ話で盛り上がる生活が2年間続きます。
しかし、暴走族の仲間を客観的にみたときに「こいつら悪いな」と考えるようになったそうです。
暴走族のままではマズいと思い、2002年に上京。このとき、18歳。
上京してからは皿洗いで生計を立てていました。あるとき、バイト先で 師匠の瀧川鯉昇さんの公演が開かれ、興味を持ちます。
すぐに師匠に弟子入りを申し込んで、2005年から活動を始めました。
まとめ:2019年5月に”真打”に昇進
ここまで瀧川鯉斗さんの暴走族時代について書いてきました。
高校を1日で退学して暴走に明け暮れましたが、落語家としてまさかの転身。
知識ゼロで落語に入門して、初めは言葉を覚えるのに苦戦を強いられたようです。
元暴走族のクセが抜けない時もあったようですが、”盗みと暴力は一発破門”という師匠からの教えを守ってきました。
その結果、2019年5月に”真打”に昇進。今後の活躍に期待です。